=粒あん vs 漉しあん=

みなさんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご利用いただき有難うございます。

鳥巣半島では春に向かって農作業のピッチが上がってきました。引き続き釣り場の水温は15℃を下回っていますが、そろそろ上昇に転じると見ています。2月のチヌ類は初旬に1尾(45㎝級)揚がって出足の好調を予感させたのですが、おっとどっこい、その後は姿を見せていません。アジは15~20㎝サイズの赤を主体に岸側でそこそこ~かなりの尾数が揚がっています。これを餌にスズキを4尾も釣り揚げた(幸運な)手練れもおられます。

Tさん渾身の一尾(出世魚スズキ:75㎝)

いささか旧い話になるが、先の年末、我が家も昔ながらの石臼に杵を使って餅つきをしました。この辺りではそうした習慣の家がまだ残っています。餅の種類も家ごとに個性があって、母親の実家の餡餅は柏餅のように二つ折りのものであった。我が家はすべて丸餅である。そしてあんこは断じて粒である。一般に、“粒”と“濾し”にはそれぞれ結構根強い嗜好があるように想う。私は子供時代の習慣から粒派であるが、漉しあんが食べられないということはない。ところが、粒あんは触感が嫌だと言って食べられない知人を数人知っている。

話は飛ぶが、英語で”Everything”や”Everybody”は単数扱いである。この語は彼らにとって「明瞭な境界幕に包まれた一塊で、内部の差異は無いものとして認識しうる」という合意(恐らく)があるのに対し、我々は粒あんの如く一つ一つの構成要素にも思いを馳せている(少なくとも私は)。 ”Good morning, everyone!”と挨拶する彼らの頭の中ほ、漉しあんの如き均質なものを包む一塊として捉えられているのに対し、我々が「皆さん、おはようございます!」と言うとき、頭の中には漠然とではあっても粒あんの如き個々の要素にも意識を払っているのである。

怪しい記憶であるが、西洋には粒あんに類する物は無いと聴いたことがある。粒あんは均質性に欠けて使い勝手も悪く落ち着きも悪いという気分であろうか? 幾何学模様を大事にする西洋のガーデンと我が方のアモルフォスな庭園の違いにも相通じるものがあるような気がします。ちまた「英語は日本語に比べて論理的である」といわれます。英語が日本語よりそうした特性を強く持っているとはいえ、結局のところ言い回し/表現の問題であろうに!?