=そんな風景もあった・・・=

 

みなさんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご利用いただき有難うございます。

当地では梅の収穫が最盛期を迎えています。薄明りの中、軽トラ部隊が朝露の浮かぶ梅畑へと向かっています。この辺りの賃仕事として梅の収穫作業には比較的高い賃金が支払われます。が、季節限定の短期決戦に加えて朝が早く、仕事もそこそこキツイため他の農業分野の例に漏れず人集めに苦労しているようです。さらに販売価格が釣り合わないというのも生産農家から漏れる嘆きです。オリンピック関連業務の日当が35万と聴こえてきますが、どこの世界の話なのか・・・・。

釣り場の直近の水温(10時前後)は22℃を前後しており、午後にやや上昇するパターンが多くなっています。透明度はほぼ夏のスタンダードと認識しており、午後の上げ潮時にやや下がる傾向が窺えます。4月~5月中頃にしばしば弱い赤潮の発生が認められ、また大潮の干潮後に波打ち際で赤い着色水が目撃されることが多々ありました。後者は既に記したように、陽射しの下で干出した海藻から溶出した色素に因るものと理解され、今はどちらの変色水も収まっています。

5月のチヌ類は月末の大雨後に喰いが止まり、結果、5月を通じて0.7尾(一人あたり)とやや下振れしました。重い空気が漂っていたところ、最終日に登場したY名人が復活の狼煙を上げ、直近の釣果にも持ち直しの傾向が窺えます。体長25~35㎝前後の小・中型サイズが主体のなか、40㎝越えの良型も混じっています。筏周辺にはボラも戻っております。これをかわしてチヌだけを狙う上級者向けの釣りも可能です(←「偉そうに」と叱られるかも)。獲物の中にはマダイ幼~若魚がしばしば混じってきます。

小アジ(10㎝前後か)の群れが頻繁に確認され、納得できる数が揚がる日も出てきました。小サバも増えており、チヌハンターにとっては餌を掠めとる脅威となっています。

アイゴは良型が揚がるも散発的。一方、水温はベテラン・ハンターN氏の目標とする≧24℃(=N基準)迫ってきました。待ち焦がれた(?)舞台が整いつつあります。

小アジの群れを追うフッコやハマチ、ヒラメが針に掛かることも増えており、想わぬ僥倖に巡りあえるやもしれません。一方気になるニュースとして、ここ数年恒例となったサメの目撃情報が寄せられているため、くれぐれもご注意ください。

こんなところに水田が・・(右は丸山)

釣り場の北隣に鎮座する小さな島(通称“丸山”)を記憶に留められている方は多いはず。南から眺めれば“半円”だが、全形はむしろ”ピーナッツ “といえる。漂わない”ひょっこりひょうたん島“の赴きがあります。丸山には(モン・サンミッシェルの教会が建つ小島のように)干潮時に渡ることができます。

この小島は田辺湾奥の景観にアクセントを加えると共に北西の風や波浪を軽減する防災機能を果し、周囲の浅場は魚の生息場となる他、採貝・採藻など漁業を下支えする場でもあります。さらに、天然の釣り場や磯遊びなどの親水空間として多面的な役割を担っています。因みに田辺湾北西部の天神崎沖に浮かぶ小島も”丸山“と呼ばれていますが、両者は別物です。

我が家の後期高齢者が語るには、その昔鳥の巣半島と丸山を繋ぐ浅瀬に水田が拓かれていたということです。それらは第二次世界大戦直後(昭和21年=1946年)の昭和南海大地震に伴う大津波によって流失し、今は面影すらありません。今や、在りし日の田んぼの姿を記憶に留めるのは極めて少数の高齢者に限られ、さらに言えばそうした史実を識る人すら多くないはず。

潮の干満や波浪を考慮すれば田んぼは相当高くまで土が盛られ、その周囲には石垣が築かれ、土手にはダンチクやメダケ(オンナダケ)が密生して風や波から守られていたはずです。実は湾奥にもう一か所、海岸にへばりついた水田があったと聴きました。

ドラエモンならポケットから過去の風景を写すことができる「想い出カメラ」を取り出してくれそうだけど、TVの中の話。昭和の景観を撮り溜めた記録者の写真が地元の史誌のなかに眠ってないかしら。

===お報せ===

釣り場ではイワガキの事前予約による現地販売を実施しています。現在は2L、Lサイズ主体で、それぞれ300円と250円です。冬のマガキに比べると身質が幾分か硬く(食べ応えがあるとも言える)味の深みに欠けるかもしれません。しかし加熱によるエグミが出にくいように想います。我が家では軽く火を通しポン酢やひと手間掛けた天ぷらで戴いております。試したことはないけれど、トマトソースやシチュウなどの煮込みでもいけそう。きりっと締まった日本酒かライトボディーの赤ワインを合わるのは如何でしよう(何の裏付けもありません、念のため)。なお、数に限りがありますので売り切れの折はご容赦下さい。