=歴史を記録する=

 

みなさんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご利用いただき有難うございます。

岸辺近くの浅場にモク類が繁茂し、その周りを10匹前後のボラが泳ぎ回っている様が見られました。また釣り場周りにはカタクチイワシらしき小魚の群れが散見されます。海の中も賑やかになってきました。鳥の巣半島の田んぼは一月後に迫った田植への準備が着々と進んでいます。

  海水温は16℃をベースに微変動しながら経過していました。そこに季節を先取りした暑さ、水温が20℃に迫るまでに上がってきました。ちょっと珍しい現象です。透明度は引き続き高めです。来場された方が「底まで見通せますね」と口々に漏らすほどに。景観的には良としても、この季節にはプランクトンが増殖し、透明度もある程度下がって欲しい気持ちがあります。

3月前半のチヌ類は0.8匹(1人当たり)となりました。平年並みの数字と云えます。先日爆釣のベテラン釣り師Yさん、「目標の10匹を目前に、風が出てきたので中止」と云いつつ、独特の排気音を響かせながら帰路につきました。今後は期待が持てると淡い想いを抱いたところが、どっこいその後は並みいるベテラン達もめぼしい釣果を得ておりません。「何と言っても自然相手ですからね。運もあるし・・」と呟きながら見送る管理人だったのです。

アジ類はチャレンジャーの人材不足が祟って良い報せらせをお伝え出来ないのが残念です。と云った矢先、Yさんが良型の”青”を15匹ほど立て続けに揚げました。朝早くには筏周りでよく肥えた青物が餌を追っているという情報も入っていますから餌の魚もいるはずです。

といった具合でまだまだ散発的釣果。いっても魚が寄っていることは間違いなさそうなので、我々の関心は大物の動向に向いています。また、マダイの良型も期待できる時期です。釣り場も”撒き餌をして育てることが大事”なのだそうです。皆様ご協力を宜しく、です。

  安政(上)と昭和南海トラフ大津波の潮位を示す石標

今年は東日本大震災の発生(2011年3月11日)から11年目でした。既に何度か記したことであるが、地震が発生した時間帯は横浜の職場にいました。不気味な横揺れに一瞬頭を過ったのは“首都圏直下地震”であったが、テレビニュースが伝えていたのは東北沖のそれであった。画面やアナウンサーが大地震に励起された巨大津波の襲来を伝える声も深く記憶に刻まれています。この記憶すべき日が過ぎた直後の2022年3月16日の夜半、再び東北沖で大きな地震が発生しました。さすがに震度6の揺れは尋常ではないですね。日本は地震の活動期に入ったと推察されます。

現在ではこのような災害記録は様々な媒体によって豊富且つ正確に後世に後世に伝えられるはずです。一方、半世紀前の記録となれば質量共に限られますが、安政や昭和南海大震災の津波の駆け上がった高さを村の神社の参詣道に建てられた石塔によって識ることができます。

ちょっと前、図書館で太平洋戦争や津波前の新庄町の旧い写真記録を探したが、適当なものを見つけられなかった。そうした折、地域団体が旗振り役となって町誌を編纂する企画が進捗していると伝えていました。新庄町は鳥の巣半島からの入植者によって開かれたと町(村)と聴かされてきました。鳥の巣は人の定住が早かったのです。

この機に眠っていた旧い記録が掘り起こされれば幸いである。また、先の戦争や大津波を経験した住民が高齢となり、存命者も少なくなっていることから直接話を聴きとる最後の機会になるはず。行政記録などはかなり豊富に残されているようです。

ところが(私が識る限り)、体験者から広範囲な聞き取り調査が行われている兆候が見受けられない。人間の記憶は時間の経過と共に風化する。また自己に都合の良いように改変されるきらいがある。しかし、正確であっても事実関係だけを述べた年表や出納記録を眺めていても感動はない。町史の編集意図が奈辺にあるのか不明だが、市井の人々(常民)の証言を採録しておくのは記録として有益である。宮本常一が心掛けた仕事のように。

さて連日、ロシアによるウクライナ侵攻がニュースを賑わせている。平和ボケしていたせいかもしれないが、「今時、あのような理由で他国へ軍事侵攻する事態が発生するなどあり得るのか」、という戸惑いであった。まるで”デジャヴュ”、数十年前に日本が太平洋戦争に突入することになった経過とそっくりではないですか・・・。

我が国では「今般の事件が指導者個人の資質に依拠したもの」とする論調が主流である。この主張が概ね本質を衝いているとしても、ロシア自体が自国の安全・影響圏に対して偏執ともいえる強い拘りを抱えてきた歴史的背景があるようですね(例えば 小泉悠「プーチンの国家戦略」東京堂書店)。であれば北方領土の甘い返還交渉(可能なのかどうかも怪しいが)などあり得ないとも言えます。

ある記事に、「ロシアが戦闘の中止を決断すれば戦いは終わるが、ウクライナが闘いをやめると国が無くなる」とありました。今般の侵攻を決断した最高権力者は中途半端な停戦と成果が自らにもたらす運命を当然認識しているから、戦闘の先行きに楽観はできない。

どちらに転んでもロシアが悪評を払拭するには2世代以上掛かるだろう。この最高指導者が歴史に名を刻むのも間違いない。中国歴代王朝の史官たちであれば、彼にどのような諡号(しごう)を贈ることになるのだろうか・・・??