===桜にまつわるエトセトラ===
平素は鳥の巣釣り場をご愛顧いただき誠に有難うございます。
桜の花が風に舞い雨に打たれて散り去り、骨組みだけだった立木も急激に初々しい緑をまとい始めました。里のあちこちで草刈り機のエンジン音が響き、鳥の巣半島では田植えの関連作業が急ピッチで進行中です。
水温は天気の変化に呼応し、月初めは17~18℃台をベースに晴れると上昇、降雨になると下がるパターンが続いておりましたが、直近は18~19℃へとベースラインが上がっています。今のところ20℃を超えた日は記録されていません。
透明度は中~低度となっており、湾奥は明白な緑、外海に向けて蒼が強まる状況です。筏周りを含め、湾内には流れ藻が寄せ集められ部分的に集積しています。
4月前半のチヌ類は0.7尾(一人当たり)でしたが実感としてはもっと釣れている印象を受けます。獲物のサイズは40㎝超えの良型が過半でしたが、ここにきて30㎝クラスも混じってきました。
アジ類は引き続き”赤““青”共に“ポツポツ~そこそこ“という状況です。「尺(30㎝)クラスを揚げた」との情報が続いているため、「「これは低迷を脱して上向き傾向にある」、と期待が持たれます。
他方、アイゴはもう少し先だろうとの声が漏れ聴こえてきます。

急速に進む田植え(鳥の巣半島 釣り場近くの水田)
毎年のことながらこの季節は身体に比して不釣り合いに大きなランドセルを背負ったちびっ子や真新しい自転車に大きめの制服をきた新入生の姿を見かけます。不安と期待が悲喜こもごもの新生活へ突入です。
半世紀ほど前、校内の敷地に植えられた桜の花びらが舞うなかを入学式に臨んだ微かな記憶があるのですが、いかにも都合よく定着した想い込みかもしれません。
学生時代に覚えた唄の「青春が花なればいつの日か散っていく・・」という一節が頭を過ぎりました。調べると、森繁久彌の曲らしいですね。過ぎ去った時間を想い起し、「あんな時代もあったのだな」と、ある種の感慨を覚えます。
ところでつい先頃、地域の漁業を引っ張り、漁協の中心メンバーとして組織運営を牽引していただいたベテラン漁師(?)の一人が逝去されました。釣り場の景色に溶け込んでいた印象も強いため、「鳥の巣半島の風景が変わっってしまった」との想いを強くします。
件の故人は数十年ぶりに戻った田舎で最初に声を掛けてくれた一人で、その邂逅は以下のような紀州弁と似非標準語の遣り取りでありました。
「ほう、戻ってきたのか? (久しぶりに観るおまはんは)なんと親父さんにそっくりやなあ!」とN氏。
「そうかな。ともあれ田舎生活一年生なのでこれから宜しく頼みます。ところでそちらは今どういう仕事を?」とブログ氏。
「よろず屋やら」と即答N氏。
「ふうん・・・」という返答の意味が幾分腑に落ちないブ氏。
「また(昔のように)遊ぼら(あ)!」と云いつつ、軽四で去っていったN氏。
”よろず屋 = なんでも屋)“は今風に例えればDIYか。当初は冗談交じりの軽口と想う節もあったのですが、ほどなく地域住民は大抵のことは自分でこなしており、これは田舎暮らしの強力な武器であることが解ってきました。”ポツンと一軒家“の主達やタレントのヒロミに連なるタイプですかね。地元では「何をやっても”手かじが良い”」などと云ったりします。
田舎ではある種の公的資格より経験によって身に着けた技術や判断力が威力を発揮する場面が多いものです。彼はこの方面で高い能力をもっており漁業や農業方面のみならず、田んぼ周りのセメント敷設工事から小さな建物ぐらいは自分で造りました。その手になる作品の一部が釣り場の施設にも残されています。
ちょっと逸れます。桜はほぼ万人に愛される植物ですが、先日薄明かりに浮かびあがった夜桜が目に飛び込んできた際、「桜はある種の妖気を醸し出している」という感情が湧き起こりました。
これは特別な感情かと云えばそうでもなさそうで、例えば坂本冬美の “夜桜お七”などはそういった情念を唄いあげているのではないでしようか? 小説にも似たような場面があったような・・・。
話題が逸れついでに予科練の唄(=若鷲の唄)に踏み込みますと、あれは時代の空気を反映した勇ましさを鼓吹する歌詞です。しかし御上の意図を映し出したかなり無体な内容を含意しているとの苦い感想を持ちますね。ここは「青春が花なれば」くらいまでに留めておいた方が良さそうです。
何といっても先の故人はその年齢にしては散り急いだ感があり、地域には重苦しい空気が広がっています。その残滓が残る中、今度は“和歌山県知事急逝”の訃報まで飛び込んできました。我が家の年寄りにはショッキングなニュースが続いたようです。
かくの如く、人々の様々な想いと共に2025年の春が進んでいきます。