===海は秋の表情に===

 

彼岸を過ぎ、釣り場へ急ぐ朝の時間帯は車のヘッドライト点灯が必須となりました。陽射しが届く昼間は夏の熱気をまとっていても、海上を渡る風は秋の気配を運んでいます。早朝は長袖シャツが欲しいくらいになり、海も秋の表情を見せるようになっています。時にゆったり漂う季節の訪問者“タコクラゲ”が目撃できます。

水温は8月末以降30℃を下回り、直近は27℃前後で推移しています。昨年2024年は彼岸まで30℃前後で経過し彼岸を境に下がり始めたのに対し、今年は8月末から低めに転じています。

ただ気象情報は軒並み「日本近海は高水温が維持されている」であるため、その差に幾らか違和感を覚えられるかも知れません。が、むしろ釣り場水温は今年が通常のパターンに近いと云えそうです。

海の色は水温の下降と共に碧色が増し、透明度も中位へとやや上がってきています。

9月のチヌ類は2尾(一人当たり)となりました。サイズは引き続き圧倒的多数の30㎝以下クラスに40㎝前後の良型が幾らか混じるという構成です。ここ数年、今頃はヘダイの幼魚が圧倒した存在でした。ところが今年は今までになくキビレの幼魚が多くなっています。サイドメニューはオオモンハタの幼魚やチャリコといったところです。

アジ類は25㎝前後が主体で数としてはやや低調に転じた印象を受けます。また、一時賑わった “シオ(カンパチ若魚)”も姿を見せております。が、来遊時期には予測不可な部分があります。その他、直近は子サバの群れや”メッキ”が姿を見せている模様。サバは煮つけ向きではないから竜田揚げに挑戦するという方も。節にしたらどうかしら??

アイゴはここにきて幼魚主体へと替ってきました。数が出ても幼魚(=バリコ)は面白みに欠けると評判は今一つです。が、大型の個体は深場に幼魚は浅い層にいるらしく、幼魚をやり過ごして良型を狙うのが腕の見せ所とのこと。バリコも干せばB級グルメの筆頭ですが、捌くのにすこぶる手間が掛かるとのこと。

 

圃場脇に咲く曼殊沙華(珍しい白花の株)

 

彼岸からこちら海の表情が変わりました。厳しく長く続いた暑さに碧碧したけれど、終わりが見えてくると寂寥感が湧きます。季節の遷り変りを伝えるニュースがあちこちで伝えられます。

最近のA新聞の名物コラム“TSJG”を眺めていたら「ひつじ雲が浮かび、風が秋色に変わった」という一文が目に入りました。これが妙に引っかかったのです。「秋色の風ってどんな・・・?、さらに“秋色”があるなら“夏色”や“冬色”だってあるに違いないのだろうけど・・・馴染みが薄いなあ~」という具合に。

そこで頭に浮かんだのは松田聖子のヒット曲「風は秋色」でした。でもその歌詞をよく見ると、恋に破れた乙女(?)の心情を綴ったもので、秋の気象現象とは無関係のように想われます。

“TSJG”といえば「日本語文体のお手本になるものだから是非目を通しなさい」と学生時代の教師に強く薦められたものではないですか。そうした格調高いコラムの文書として軽すぎないか and/or “秋色の風”は既に日本語として認知された語彙なのか、等々。でも「天下のA新聞社の校閲や編集責任者がそうしたミスを見逃すわけがない。これは当方の認識が足りないのに違いない」とも感じた次第です。

視点を遷してみれば、「あいつは○○の色が付いている」という云い方をよく耳にします。これは実際に特定の個人が赤や黒色を呈しているわけでなく、「○○から何がしらの影響を受けている(○○の雰囲気を醸し出している)」といった意味合いで使われます。ザ・タイガースの歌曲「色付きの女で居てくれ」にも通じるものがありそうです。

井上陽水の楽曲「少年時代」の中に”風あざみ“という語がでてきます。これは陽水の造語らしいですね。彼が書く歌詞にはちょっと理解しづらい”陽水語(フレーズ)“がしばしば登場しますが、この場合はメロディに乗せるため「風(に揺れる)あざみ」などのような括弧内の語が省かれたのではないかとも考えられます。その正誤はともかく、”風あざみ“はなかなか趣のある言葉であると感心している次第です(俳句の夏井先生はどういうかな?)。

考えてみれば言葉は“隠喩や暗喩などのレトリック + 少しの遊び心”を駆動力として変遷・発達してきており、話者が存在する限り今後も同じように変っていくはずです。そうした変化は若い世代の中で生み出される傾向が強く、あるものは廃れ幾つかが世代の壁と時間を超えて浸透し残ることになります。但し後者には限られたサークル内に留まるものがあるかも知れません。

何れにして社会の縁辺にいる老齢世代は新しい流れから取り残されがちとなります。温故知新と云いつつ(使用法は正しい?)、この雑文で採り上げた歌謡曲の事例だって半世紀近く昔のもので完全に今風に乗り遅れています(現在のはやり歌を知らないから)。

となれば新聞の名物コラムに年寄りが目くじらを立てる筋合などないのかもしれません。さらに云えば本来の意味を曲解して流布している言葉は巷に溢れていますし、我が身を振り返って、「えっ、これはそういう意味だったの、使い方を間違っていました(ポリポリ)」と恥じ入ることが多々あります。

もやもや感を抱えていたつい先頃、薄暮の空に茜色に輝く雲を目にしました。それはにわかに強まった高層の風が特有の形状をした雲をつくり、これが地平線に沈みゆく太陽に照らされて茜に染め上げられたものです。「お~、ここで風と色が見事に繋がったではないか!」 解釈に幾らかこじ付け(+腰砕け)観が残るとしても、何とも足裏の米粒が取れた感覚です。

秋になると“トンビ”が高く舞うようになります。これは強まった上層の風を利用しているのでしよう。彼らは殆ど羽ばたくことなく舞い上がり舞い降り、長時間飛び続けています。カラスならこのような飛び方は出来ません。

さてそろそろ“秋の海の表情”ってどんなの?」という質問が挙がりそうです。熱心な釣り人(や海を視ているジョニー)ならいくつもの変化をご存知かもしれません。ここでは“にわかに強まった北風によって海の静穏が破れ、海面が細かく波立つようになる現象”をお伝えしたかったのです。