===紀南の海辺に春の息吹===

 

紀南では梅の花が咲き始めており、梅林は日ごとに色づき賑わいを増しています。水仙もあちらこちらで眼福を運んでくれます。水仙は北風の吹きすさぶ里地であっても、日当たりさえ良ければうらやましいぐらいに元気です。そういえば釣り場周辺の枇杷も控えめながら花をつけています。

釣り場の水温は、月初めは黒潮系水の影響でやや高めであったものの、その後の強い寒波襲来で15℃を下回るようになり、直近は14~15℃前後で変動しています。いささか乱高下の様相を呈したものの、今はほぼ例年並みといえます。

透明度は赤潮が消失して以来この季節らしい高め基調で推移しています。

先にも報じたように筏周りで大型のボラが群れています。これ程の群れが長期間水面に集まるのは珍しい光景のようで、ベテラン管理人も「棒で頭を殴れるのよ・・・(紀州弁をいくらか翻訳」)と呟いておりました。ボラからすれば「私たち今とっても良いところ、だから邪魔をしないで!」ということになりましようが、一見の価値がありますよ。

1月のチヌ類はほぼ0.5尾(一人当たり:暫定値)となりました。月の後半は荒天のためもあって殆ど釣りにならなかったうえ、天気の合間に竿を出しても低水温・高透明度のせいか「魚の気配がない」、といった状況でした。残念です。今後の水温上昇に希望を託しています。

アジ類も荒天の影響を受けて釣果情報が入手できておりません。尤も湾奥の波止場では釣り人やウミネコの姿が絶えることがないため、湾内にはまとまった群れが常在しているのは間違いないところです。

 

 

陽だまりに咲く水仙(2月1日現在はもっと咲き誇っています) 

 

数年前、知人からことばの成り立ちについて解説した書籍を紹介されました(今井むつみ・秋田善実 ”言語の本質“ 中公新書)。油を指してみても錆びついた頭にすっと入らない内容もあったのですが、教えられることが多く、興味深く読了しました。

中でも “オノマトペ”(”わくわく“、”ざわざわ“、とか”ぷんぷん“や”ぷりぷり”の類)に関する論考にいたく興味をそそられました。従来、”オノマトペ“は言語の発達史において注目される存在ではなかったのです。これに対して著者らはその重要性に光を当てました。

聴くところ、諸言語の中でも日本語は擬音・擬態語の使用頻度が高く種類も豊富なのだそうですね。“ニャンニャン”や“ワンワン“がそれらの仲間なのか分からないけれど、”じとじと“や”はらはら“(その他多数)などは疑いないところです。こうした言葉は英語やフランス語などにはあまり見られない日本語の特性だとか。

幾ばくか縁のあったマレーシアでは(ということはインドネシアでも) “サマサマ(=どういたしまして”)や”ジャラン-ジャラン(=散歩)”なんて言い回しを頻繁に耳にしていたため、繰り返し語はある程度普遍性が高いものと想っていました。ただこの語が言語学的にオノマトペに分類されるものかどうか自信がありませんけれど。

先の本を読んだことを契機に、図書館で日本語や言語に関する書棚を覗く機会が増えました。専門書にはとうていついていけないから一般向けの啓蒙書狙いです。出版文化を支えるには購入がベストでしようが、置き場が限られることもあり、退職後はよほど手元に置いておきたいもの以外はもっぱら図書館頼みです。

ここで白状すると退職後にボランティア的立場で日本語教師として働けないかとお気楽な考えを持っていたことがあります。でも日本語を教えるのは実にハードルの高い仕事であって、永年日本語教師として活動してきた清水由美によれば、「日本語をしやべるからと言って、そんな甘いものではありませんぜ!」 (“すばらしき日本語” ぽぷら新書)ということで、ご指摘にはまったく納得です。そういえば父親も頻く云っておりました、「甘く考えたらいかん、なんだって楽な仕事はないぜ」と。

いくつかの関連本を読む中で新たな発見もありました。それは国語の文法に関する解説は全く頭に入ってこない事実です。情けないほどに。哲学関係の本も同様ですね。頭の神経回路が形成されていないからと想いたいけれど、きっと地頭のせいでしよう。それでももうしばらくはだましだまし付き合う必要があります。