=もう一つの秋のドラマ=

 

皆さんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご利用いただき有難うございます。

彼岸花が盛期~やや盛りを過ぎた模様。釣り場の近所の田んぼの土手には赤と白株が半々ぐらいあります。既に述べたことですが、この植物は球根に毒成分を有することから動物の被害防止を目的に人為的に移植されたものだそうです。トンビが空高く舞い、田辺湾ではタチウオ漁も始まりました。陽射しは鋭くとも秋が到来しつつあるのを感じます。

釣り場の海水温は梅雨明け直後から8月半ばにかけて高く、以降は変動を繰り返しつつ下降していくのがこれまでのパターンでした。ところが昨年あたりから下降期が遅れる傾向にあり、今年の気温の傾向に呼応する如く、9月に入ってからも30℃台が続出しました。前報のとおり、この夏に釣り場において30℃以上を記録した日は31日に達し、昨年の記録を塗り替えました。直近は29℃前後で推移しており、これは昨年同時期に比べ2℃前後高めです。海の色はグリーン系、透明度は中位~やや低めです。

9月のチヌ類は概ね2匹(1人当たり:暫定値)となりました。チヌは引き続き20~35㎝の中小型サイズが主体ですが、先日50㎝超のスーパー良型が揚げられております。また、これまで控えであったヘダイ(手のひらサイズ)が群れてヘダイワールドを形成している模様。この季節の特徴です。サイズの小さいヘダイを歓迎しないチヌハンターが多いのですが、稀に40㎝超えの良型も混じっております。また、チヌより美味と評判ですので尊厳をもって接して頂ければ幸いです。

アジ類は小アジ類を主体に沖合側の釣り台でそこそこの釣果を維持しています。数年前にはハタハタやニシンの群来襲来のごとく、釣り場の筏周りでアジ類の群泳現象が観られました。一時的特異現象だったのかもしれないけれど、あの光景を今一度観たいものです。

アイゴは小型サイズが釣り対象に加わり、数としてはそこそこ揚がっています。但し、小型魚は釣りの面白みに欠けるきらいがあるためかアイゴハンターからの評価は今一つ。そうした中にあって小型魚は面倒だが一夜干し用に最適とN氏が精勤しています。

 

アジ類の好漁に巡り合った残暑の日のNさん

 

ノーベル賞の発表日が近づき、日本からも有力候補者の名前が何人か取りざたされています。文学賞は村上春樹の名前が挙がり、文学界も異常にかしましい時期がありました。祭りの疲れがでたのだろうか、昨年あたりから幾らか落ち着いたように見受けられます。

ノーベル賞候補として名前が挙がった当人は(他人事ながら)各種の文学賞の発表のように、この時期内心穏やかでないだろう。幾らか血圧も上がっているのではないでしようか。

国内の文学賞の受賞者はその後が続かず再浮上することなく消えてゆくと事態が十分起こり得ます。しかしノーベル賞を受賞したなら、その後の人生で食いっぱぐれることは無いはずである。もっともノーベル賞クラスになるとぽっと出のお兄ちゃんやお姉ちゃんでなく、その道の大家といわれてきた人たちが殆どですが。

ノーベル賞には各分野で3人までの受賞という足切りラインがあります。このため栄光の陰に「えっ、どうしてあの人が漏れたの??」といったドラマも起こっています。受賞を巡る悲喜こもごもは多くの受賞の周辺で度々起こっているし、4人枠なら間違いなくこの人も、といった事例もある。さだまさしが口にしたように「運がいいとか悪いとかは、確かにある・・・」に違いない。

一例を挙げれば、遺伝子が二重らせん構造をとっているという事実はワトソンとクリックという二人の生物学者の発見で、これが端緒となってその後の遺伝子科学の飛躍的な発展が実現したといっても過言でありません。この功績によって彼らは1962年のノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

しかし、その発見にはある女性科学者の研究成果が大きな役割を果たしたと云われています。が、残念ながら彼女は賞から漏れた。遺伝子の二重構造の発見に至る経緯や当時の研究の実態については、興味を惹く事件であったためか既に何人かの手によって公表されています。

つい最近、東北大学が数兆円レベルの研究費を長期間にわたって配分される重点支援研究拠点の最有力候補に選出された。新聞などで大々的に取り上げられていたからご存知の方も多いはずこのニュースに対し、「何だかなあ~、もっと多くの大学に広く薄くバラまいた方が結局は日本の研究レベルの底上げにつながるのに・・・」というのが私などの感想です。伊集院静なら「濡れ手に粟の金は身につかないよ!」、そう云いそうな気がしますね。

そうしたところへ興味深い研究結果が公表されたこの報告が明らかにしたのは、「研究費を特定の研究者・分野に集中投下るより広く多くの研究者に配分した方がブレークスルーの研究成果につながる」というものでした。このことは昔から指摘されてきたが、証拠に基づかない感覚的な言説として広く受容られてこなかったきらいがある。それが統計的な解析によって裏付けられたということです

これに対しここ数十年、我が国の科学・教育行政は今回明らかになった結果とは真逆の流れにありました。かつて財務省の偉いさんが大胆にも頑張って成果を挙げている大学とそうでない大学は研究資金で差をつけて当然(概ねそうした内容)」と公言しておられた。こうした研究費の配分方針や学術研究への認識を巡って当時の京都大学長が意義を唱え(当然ですね)、マスコミの一部で論戦の一端が採り上げられていました。

残念なことに(当然のことながら?)、現行の“飴と鞭”政策は政府の思惑とは逆に上手くいっていないというのが衆目の一致するところではないでしようか。その端的な例が日本発の学術論文の発信数が減少している現状に顕れています。

日本人のノーベル省受賞は素直に喜ばしいことで、妙に力を与えてくれます。但し、評価された成果は過去の遺産に依るもので、これを食い潰した暁には「あんな時代もあったよね!」→「うんうん、懐かしいね~」、と云った想い出話の中に没していそうである。