==ふるさとは何処ですか?==

 

みなさんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご愛顧いただき誠に有難うございます。

釣り場の事務所から花を開かせはじめた山桜があちこちに散見されます。中には散り終えた木もちらほら。遺伝的に多様な山桜は順を追って咲いていきます。それぞれの木の開花時期はある程度決まっているのでしようけど。

これに対して遺伝的に均質なソメイヨシノは一斉に咲いて一斉に散る短期決戦型です。これが日本人の心性の形成に少なからぬ影響を与えた〝アレ“ですね。一斉に咲き誇るのも壮観ですが、細く長く続くのも生命への安心感があります。

釣り場の水温は目まぐるしい上下変動を繰り返しつつも全般的には低め傾向で推移してきました。例を挙げれば、3月に入って15℃を下回ったのは昨年が2日でした。ところが今年は20日を数えました。

各地でサクラの開花が遅れているとの報も聞かれます。熱の大気―海洋大循環の中で連動した影響に因るものなのでしようか? さすがにこの後は気温・水温共々昇温傾向が見込まれ、直近は20℃を覗う水準まで上がってきております。

海の色は引き続き緑をベースにやや碧味が強まってきており、透明度は中位となっています。筏周りでは遊弋するミズクラゲの群れが目に付きます。

3月のチヌ類は2月より下がって0.5匹(1人当たり暫定値)でした。雨に加えて風の強い日が多かったため釣り日和と云える日が極端に少なかったことに加えて、アジハンターが頑張った分母の加算によってチヌ釣果が過小評価されているため、上の数字よりは釣れた実感があったと推察しています。そのチヌは産卵期に入った模様で、竿を出せればどこかの釣り台で40㎝超えが期待できる状況です。既に今年初の50㎝超えがNさんに拠って揚げられております。後は天気と運次第でしようか。

アジ類はわりと好調が続いておりました。但し、ここにきてベテランのアジハンター氏から「釣果が下降局面に入ったかも・・」という弱気が漏れ始めているのは懸念材料です。しかししかしその言葉が消えないうちにまとまった数を釣って意気揚々と引き揚げてきたので、魚の集まる時間帯を掴まえればまだまだいけそうな模様。

アイゴは良型の魚影が見えるとの報が届きました、シーズンインもそう遠くなさそうです。

 

渚のバルコニー”(旧釣り場事務所跡)から望む桜

 

年度替わりは人生を画期する季節です。この春、就職や入学で生まれた土地を離れる若人が大勢いるはずです。その中にはこの地に再び戻らない人も多いはず。

往年の歌姫テレサ・テンに「ふるさとはどこですか?」という曲があったのを想い出しました。 あるいは小学校唱歌“ふるさと”の方が一般に通っていますかね。愛郷心に訴えて地元への寄付を募る“ふるさと納税”という制度もあります。が、これは当初の設計理念から遠ざかりつつあるやに見受けられます。

ところで私は20歳前に生まれた地を離れ、以来、幾つかの地域に住みました。他所の土地にいくと「貴方どちらから来られました(Where did you come from・Where are you from )?」と尋ねられる機会も多く、必然的に自らの拠り所を意識することが増えます。

先の問への返事は、“本籍地 → 田辺(実は”白浜“の方が知名度あり) → 和歌山 → 日本 → 田辺”という具合に、自らの活動範囲に伴って遷っていきました。因みに宇宙飛行士は“故郷は地球”と意識する傾向が強まるそうですね。

私は新しい土地に馴染むのに時間が掛かる性格でしたが、「どの地も住めば都」という実感はありました。ただ異動を繰り返していると何処も故郷感覚が薄れていき、歳を重ねるに従って「終の住処は何処になる/するか?」という想いが湧き上がってきました。転勤の多い職場であったため多くの同僚が大なり小なり似たような悩みを抱えていたようです。

私には年老いた親に先祖からの土地もあったため田辺が“還るべき土地”と云う意識が奥底にあったものの、現役時代特に若い時は故郷への想い入れはそれほど強くなかった気がします。しがらみがなければ、おそらく別の選択肢もあったと想います。

これには奇譚があり、定年の迫ったある日の夕方、見知らぬ年配女性が実家に立ち寄り、「お宅の息子は家を離れようとしているから引き留めなさい!」と告げて立ち去ったそうです(既述かも)。一体何があったのでしようかね!?

 結果として、様々なしがらみに絡めとられて(?)生まれた地に戻ったわけです。数十年振りの故郷はちょっとした違和感がしばらく付きまとったのですが、もう慣れてしまったというのが実感です。

田辺は台風が多く津波への心配も尽きない土地柄ですが、特段の不満も無く田舎生活に馴染んでいます。東日本大震災とその後の混乱状態を垣間見た一人として、大都会よりむしろ田舎の方が暮らしやすいというのが疑いのない感想です。

ちょっと横道に逸れますが、世の中には「定年後は海外で・・」という人たちがおられます。「余程現地への適応力が無いと外地は終の住処になり難い」というのが私の意見です。実際、随分以前から行き場のない日本人高齢者が東南アジの各地で社会問題になりつつありました。「身体が動く間しばらく海外生活」というのは有りかも知れませんが。

ヒントの一つとして、国際的な会議で、何かといえばアフリカ、アジア、ラテンアメリカといったエスニックグループが形成されていた様が想い出されます。文化的背景が近いと何となく落ち着くようです。