=水清ければ魚棲まず!=

 

 みなさんこんにちは。平素は鳥の巣釣り場をご利用いただき有難うございます。

  近畿地方の入梅が平年より遅れています。梅雨時は湿気が多く気分も沈みがちになりますが、インド洋から運ばれたこの湿気と降雨が日本の豊かな風土と民心を育むのに大きく貢献しています。

 釣り場の水温は23℃付近で小変動を繰り返しており、まずまず安定した状態と言えます。6月前半のチヌ類は0.7尾(一人当たり)と盛期を前にやや足踏みの様相を呈していますが、それでも例年並みの釣果は出ています。その他、前期に引き続きアイゴ(平均10尾前後)、グレ(数匹)、ツバス(数匹~10数匹)、さらに豆アジ(数十匹)等が揚がっています。これらは概して「群れのわりに喰いつきが悪い」という声が聴こえてきます。釣りの対象外ではありますが、小魚の群れをあちこちで見ます。癒しぐらいになるのかどうか・・・?

 

  筏周辺で散見される小魚の群れ

  この時期の釣り場は冬~春先に比べて透明度が下がっています。これは降雨等に因る濁りのほか、水中に増えた栄養塩と強い太陽エネルギーを使ってプランクトンが繁殖しているためと推察されます。透明度は海水中の(生物+非生物)懸濁物質の量と密接な関係があり、中でもプランクトンの現存量に大きく左右されます。

 私が子供の頃、鳥の巣釣り場が位置する田辺湾の枝湾である“内ノ浦湾”の透明度は秋~冬に高く、夏は極端に下がるのが一般的なパターンでした。冬は北西風によって栄養に乏しく透明度の高い黒潮系の外海水が湾内に流入し、さらに弱い日射が植物プランクトンの増殖の制限要因になるためと考えられます。一方、夏は降雨等によって陸域の栄養塩が湾内に流れ込み、夏の強い日射が植物プランクトンの増殖を後押しします。植物プランクトンが大量発生して海面が変色する赤潮現象が頻発しました。

 ここ数年、釣り場の仕事に関わって気づいたのが初夏~夏にも透明度の高い日があることです。昔より海が綺麗になっているのは間違いなさそうです。その昔、生活・産業排水は垂れ流しでした。トイレのくみ取り汚水は海洋投棄されていたものです。河川や沿岸の汚染、富栄養化が大きな社会問題となっていました。現在、生活・産業排水の流出は厳しく制限され、結果、栄養塩が減り、それに伴って植物プランクトンの大繁殖が抑制されています。とは言え、海が綺麗になって“めでたし めでたし”と喜んでばかりいられない側面があります。日本の漁業生産量は1985年頃を境に減少傾向にあります。漁獲過多は大きな原因と見做されます。しかしながらそれだけでは説明できないこともあり、水域の清浄化が進んだ結果、海の生産性が低下したという見方も出てくるのです。近年、海苔の養殖業者などは、「海の栄養分が足りない、もっと窒素や燐を!!」、との声を上げ始めています。

 水域の栄養状態と漁業生産の関係を見事に証明した事例が北海道の支笏湖で見られました。現在、この湖は透明度が高いことで世界的に有名ですが、かつてチップ(=ヒメマス=陸封型ベニザケ)の好漁場を謳歌した時代もありました。後背地から湖へ流入する排水に対する厳しい環境基準が施行されてからチップの漁獲量が激減し、水産業は大打撃を被ったのです。直接の要因は魚の餌となる動物プランクトンが大きく減ったことですが、辿れば植物プランクトンの減少、さらには水域の栄養不足に行き着きます。文字面そのままに、「水清ければ魚棲まず」の好例ですね。しかしながら支笏湖はもともと栄養に乏しい貧栄養湖だったため「やっと元に戻った、本来の自然(に近い)状態を維持すべし!」という環境保全派の声が当然あるのです。

 環境の保全・保護と利用・開発派のせめぎあいは世界のあちこちで発生しています。持続的生産の旗の前には、「人間が生きていくうえで不可欠なものをどう捉え、どのレベルで折り合いをつけるのか」、二項対立だけで解決できない難しい課題が横たわっている訳です。